組織の不祥事の責任は誰が、いつ、どのようにとるべきでしょうか?

 巨大企業から、中小零細企業まで、国家から地方行政の場まで、教育委員会から1学校まで、メディア・芸能団体から1アイドルグループまで、組織とあれば不祥事が絶えない昨今です。
   ひとくちに不祥事と言っても色々あります。法令違反、社内規定違反、コンプライアンス(倫理)問題、感情論など様々です。学問上では「失敗学」としてまとめられています。しかし、実務遂行上はこれら不祥事が起き得ることが、前提としてあまり意識されていないため、いきなり問題が大きくなる傾向があります。

 そんな組織の不祥事の責任を誰がどのようにとるべきなのでしょうか?

 <江戸時代・武士の責任の取り方>
 かつて武士の不祥事は、不祥事を起こした本人の「切腹」で責任をとるものとされていました。タイミングは、自分が責任を感じた直後〜数日後、ないしは、組織の長からの切腹命令の時点で実施されていました。死をもって責任をとる、それで免罪という文化です。現代人の自殺とは全くの別物です。本人は死んでしまいますが、不祥事の失態もそこまでで、むしろ武士としての面子やさらなる責任の連鎖は防げるものでした。それだけ不祥事を起こすこと自体への警戒も強かった事を意味します。切腹を例示したのはオーバーだったかもしれませんが、ビジネスの前提として不祥事を起こさないことが重要視されていたことは、現代人も大切にするべき考え方なのではないでしょうか。

 <不祥事に関する現在の法律>
 江戸時代と違い、現代の法律では特に不祥事のケースに応じた責任者とその責任の取り方についての規定は存在しません。刑事・民事裁判になれば、過去の事例を基に個別に判決が下るというのはあります。しかし、不祥事が必ずしも裁判沙汰になるとは限らず、組織内部で自己流の責任の取り方(世論の動きを見て組織の長がサジ加減)をしているケースが大半です。このように不祥事については、現在無法状態であるといわざるを得ません。

 <現代の慣習から導く結論>
 法律がない以上、現代の商慣習で行われている最も妥当な方法を模索するしかありません。最も妥当で納得のいくと考えられるのは、以下の時点・方法でしょう。

 不祥事を起こした本人及びその組織の直系上司全員に対し、不祥事が内部で判明した時点で、「辞任」の形で責任をとらせる。

 「不祥事」ですから、当然、大がかりなものに限られます。「業務上過失」、すなわち実務を真面目に行っていった際のやむを得ないミス、は含めません。実務家が実務を遂行するのに委縮しても経済上問題です。悪意・故意の有無がキーポイントとなります。悪意のある不祥事は、その大小を問わず、すべて「辞めてもらう」形をとります。本人はもちろん、その直列の上司のすべてが管理能力の無さの責任をとるのです。今の政治家(屋)の人達は、世間一般からみれば頼りなく見えますが、それでも不祥事がおきたら「辞任」していますので、一定の筋だけは通っています。このように、現代社会では「辞める」ことでしか責任は取れないはずです。

 最近の事例で考えてみましょう。
・企業年金流出問題・・・受託企業の長が辞任しましたが、委託先団体も責任をとって辞任すべきと考えられます。
・止まらない警官の不祥事・・・警官による不祥事が絶えませんが、本人の減給ではなく、本人から上司、本部長までの辞任が筋だと考えられます。
・行政担当者による個人情報流出・・・謝罪ですませていますが、大きな問題です。中には売買にからんでいるものも少なくないとか。本人から区長などの組織の長までの辞任が妥当と考えれます。
・公務員の痴漢行為・・・大抵本人の依願退職となっていますが、ふてぶてしいのもいて、減給だけで済まそうとするケースもあったりします。やはり、これについても、本人から組織の長まで辞任する形をとるべきと思われます。
・教師やスポーツ団体による体罰問題・・・その教師・監督だけでなく、教育委員会委員長や団体の長も責任をとって「辞任」すべきと考えられます。
・高所得芸能人の家族が生活保護を受けていた問題・・・謝罪ではなく、本人及び所属団体の長は芸能界を去るべきでした。
・アイドルグループの内部規定違反・・・本人だけでなく、そのプロデューサーも「辞任」すべきと考えられます。
★いずれにしても、世間への悪影響は大きいものです。1個人ではなく、組織全体で責任をとる姿勢が求められます。

 <最後に>
 現代人の不祥事を起こすことへの危機感が足りていないことから、毎日のように大型の不祥事が発覚したりしています。江戸時代の武士のように常に不祥事を起こさないよう気を張っておくことが大切だと思います。



























最終改訂2013/2/6

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